reiの見た、東日本大震災・・・( ;∀;)
おはようございます。
rei ブログお立ち寄り頂き有難うございます。
2018、3,11
1900年代以降記録されている中、世界で4番目の大きい
規模。津波が起きた事で未曾有の災害に・・・
それから1年後に rei、被災地・気仙沼に、市の慰問団の
一員として訪れました。
お節句に桃の生産者と共に・・・桃の花を届けに・・・
大型バスに桃の花花・花器・ハサミ・等などを積み、市職員さん・
業者さんはバスで早出・・・女性は新幹線で一ノ関・・・で待ち合わせ
バスで一路、気仙沼へ・・・
一ノ関の街も地震の被害でブルーシートの家々が・・・、
ある処まで行くと景色は一変・・・。
広い空き地、良く見ると、土台だけ・・・まだ新しく建った住宅街?
・・・と想像される街、鉄骨だけが残されて・・・いるところも。
これは、テレビなどで見る、光景そのもの・・・
目的地,気仙沼市街地より少し手前の海岸にバスを止め、
何メートルか手前で津波が止まった・・・という、
高台にある被災を免れた、公民館・・・へ向った。
道路脇には川が流れている。この川を津波が駆け上り、
被災に合ったお家と、被災に合わないお宅と、隣り合わせ・・・
何とも切なさを感じ・・・ながら、reiの撮った、たった一枚の画像
です。
この家は坂の中腹にある、コンクリート建ての工場、屋根と内部は
流され、上には下から流れて来た家が・・・1年経ったても、まだ手
付かずのままに・・・
公民館の隣には、 仮設住宅が並んでいました。
桃の花の生け花には、仮設の方々が参加され、桃のお花は
皆さんお持ち帰りになられ・・・残されて言葉は
仏様にあげる花は買えても、家に飾る花は買えない。
と話された事、今も忘れません。
そして皆さん、仮設住宅にお帰りになり、また いらしゃいました。
その手には、仮設にお住いの方々の手作りの、ストラップが
rei も一つ頂き、今もバックについて居ます。
宿泊は町中にありながら、少し高台で1‣2階は被害に
あったが、3階以上は使え、これを町の被災者達の避難場所に提供し
一年経ち、営業再開と書かれていたが、ボランテアや復興工事の人の
宿泊地の様子だった。暖かい、お風呂が何よりのご馳走でした。
まだ街に残された大きな船、鉄骨だけが残るビル、
まだまだの1年目でした。
今日は,reiの目で、見て来た1年目の被災地
今も忘れない、気仙沼の様子でした。
お付き合い頂き、有難う。
また、あ・し・た
・・・("^ω^)・・・